また曲を作り始める

随筆

バンドで音楽を作らなくなってしばらく経つ。

そのバンドは解散したわけはなくて、休止という形を取っている。数年が経ったが、再開の目処は立っていないし、今後そうしたいともあまり思わなくなってきた。

なぜバンドを休止したのかというと、それはライフステージの変化に対してバンド活動がうまく形にならず、体力的にも色々無理が生じ始めたためである。メンバーの転勤もあった。

それでも私は音楽をライフワークとしてやっていきたいと思っている。歌もギターも大して上手なわけではないが、やはり音は楽しいからである。

曲ってどうやって作るの?

売り物にしようと思わなければ、コード3つと物語さえあれば曲は作れるものだと私は考えている。

コード3つというのは、理屈の話であり、すごい面倒くさいのでここではやめておく。今度気が向いたら書く。実際私のつくるコード進行は割と訳のわからんものも多いが、分解していけば3つのコードとその派生形に過ぎないと思っている。

物語については、これは歌詞や、メロディ・コード感の明暗、そういったものを作ると思っている。

物語ってなによ

物語、ネタ、なんでもいいが、歌詞の素になる体験のことをいう。

私は架空の話を考えるのが苦手だ。せいぜい実体験をもじった話ぐらいしか作ることができない。

で、物語といったら、私自身、なにか苦悩のようなものから出てくるドラマのようなものと思っていた。

以前は先行きの見えない学生生活、パッパラパーの不安定な暮らしがあって、なんだか色々悩ましく生きていた気がする。だから、ドラマのようなものが頭によく浮かんだ。

ところが、ここ5年で生活が大きく変わった。運良く定職に就き、結婚もした。生活リズムや栄養が整ってくるので、生活に悩むべきところが少なくなってくる。ライフワークバランスの取り方も上手になってきた。ますますドラマのない人生である。

そうすると、なにか昔の物語を思い出したり、他人の物語を借りたりして、今の生活に照らしながら音楽を作ることになるわけだ。

「日記」という曲

社会人となって2年目ぐらい、20代の終わりに作った曲である。

歌詞はこんな感じだ。

人並みの暮らしはいつも
もの寂しさと共にあって
片付かない部屋で寝ていたい

気がつけば20代も暮れ
感性にまとわりつく錆を
振り払い動き出さなきゃ

鈍色の記憶をたどり
どこか揺れている感情は
あの日のこと 風に消えていったこと
 
それでいいのさとため息を吐いて
悔いていてばかりでは輝けないんだよ

夏の影法師の残像と
ジンジャーエールの刺激と
戻らない日々の足跡

誰かの声 言えないこと
木もれ陽に 隠しごと
あの日のこと 忘れてしまっていたこと

泣いていたあの日の空を重ねて
夕暮れのまちはこころ洗うよ
ルララ ルララ ルララ

虹色の景色をひとつ
胸の奥に刻んで
揺れる そう まだここに居たいんだよ

泣いていたあの日の空を重ねて
夕暮れのまちはこころ洗うよ
泣いていたあの日の言葉さがして
夕暮れのまちはこころ洗うよ

ルララ ルララ ルララ

何を歌った曲かというと、先述のバンドのメンバーが転勤になってしまった時に思ったことだ。

彼とは大学1年のときからの付き合いである、言わば親友のようなものである。彼は人付き合いが器用なタイプではないし、ものぐさだが、人に対する愛情や恨みといったものを大変人間らしく持っている人間であった。

そんな彼が、転勤によって、大学という多感な時期から社会人になり、結婚するまでの年月が積み上げてきたものをスパァンと取られてしまったわけである。

それでも感傷的にならない方法がある。感性を錆びつかせてしまうことだ。そうしてお互いを守る。それが大人になるということなのかもしれない。ショックだったが、彼を応援するような言葉を言ったと思う。

でも、彼の気持ちを慮るといたたまれなかったし、私は彼が大好きである。そういうわけで、惜別の気持ちからこんな曲ができた。何か、言葉にしないと気が済まなかったためである。

ちなみにその友人は、転職に成功して見事、関西に戻ってきた。がしかし、互いに家庭・仕事があって、以前のようにがっつりバンド活動ともいかなくなっているし、私のモチベーションもないので、やはりバンド再開の見込みはない。なお良き友人関係である。

以上のことを知ってみれば、なぁんだ、そんなことか、となるかもしれない。でも私はこの曲を気に入っているし、皆さんも自分の経験と重ねてくれたなら、嬉しく思う。

「蒙昧」という曲

こんな曲だ。

これも、言ってみれば他人の物語である。歌詞は以下。

いつかのよう 俺は今をどっかの隅にやって現実離れ
スライド 暗いな 揺らいだこの夜の遠く 吸い込まれてく
灰色の 住む世界はいつもと似て非なるもののようで デジャブを垂らして
ただの会話も 聴き知らないな って倣ってハッタリかまして

手も足も出ない社会派 多分に思うところ有り余って
誤りを塗り重ねたまま理論武装兵器を装った
ブレる視界 視線流して弄る闇の中の市場にて
こらえきれない ただ欲と業を垂流す狭隘な衝動

ともすれば何もなかったように
過ぎてゆく中に一つ 思索を
リカーボトルのあと少しはどこへやら

汚いことを考えていけないことをして ただひた隠してる
私腹を肥やして笑って笑って笑って笑って笑って
狂い人はただ死すれど裁かれぬは思想 思想 思想
喜んで摂取して吐き散らし排泄するだけの本能

ともすれば何もなかったように
過ぎてゆく中に一つ 思索を
要らないもの まだ忘れきれないまま

いつかのように 消えてしまいたい
西の空へ吸い込まれそうになって

蒙昧たれ!腐れきった神経 消耗して
建てて壊して今を変える
ただ足早に過ぎていく日々に刺す
闇と光を

それが何か特定できる発言は避けたいが、この曲を作ったときは、ある事件が世間を騒がせていた。そのときに思ったことである。

現代の世の中は、共同の想像による正義に従う品行方正さを正とし、その他のものを異物として排除する世の中であるように思う。

また、過剰なまでに人々の心の奥底に入り込んだ資本主義というものがあり、生産性がすべての物事の評価基準となってしまっているように思う。

他方、私は、ろくに考えもしないで正義感を振りかざすひとは苦手だし、それをSNSなどを使って数の暴力に変えるような輩が苦手なのである。

異端で脅威となる存在が現れたなら、多数派となって排除する。それは場合によって仕方ないのかもしれないが、「異物である」という決定より詳しい評価はしない。

さて、先述の事件における犯人の発言は、生産性に取り憑かれているような考え方によるものと感じられた。それは、私の価値基準から否定したいものではあったが、一方で私自身が完全に納得できる反駁も思い浮かばない。

SNSなどでは、「そんなことを考える奴の神経がわからない」「人間じゃない」といった意見が散見された。

どうしてみんな、自分と関係のない存在と考えることができるのだろうか。社会が生み出した歪じゃないか。下手をすれば明日は我が身ではないのか。そうして、どうしようもなくもやもやした。

せめて、これは私の中での矛盾として長く存在させなければならないと思った。でも、楽しく器用に生きていくためには一定程度は阿呆にならなくてはならない。蒙昧たれ私よ。

一方、これは決して忘れてはならないことであるし、折に触れて自問自答しなくてはならない。そういうものだと思った。

そういうわけで、そのことを心に刻む目的で作ったのがこの曲なのである。

ドラマがないと書けないのだろうか

私という人間は、書けるときには書けるし、書けないときはさっぱり書けない。そういう人間である。と、思ってしまっていた。

でも、先述のとおり安定してしまった生活のなかでは、そうそうドラマなど起こるものでもない。

何も気にしなければ、どんどん感性が錆びていく。まだまだ若いのに、簡単に老いることができる。曲が作れない。作らないからさらに作れなくなっていく。と思っていた。

さて私はブログを書いている。

書いている理由は色々で、自己顕示として、それから、生活向上のための記録として、などである。

これに関しては、ドラマなどないわけである。曲を作るよりもハードルが低く、まぁパソコンにカタカタ打てば完成し、それなり達成感を味わうことができる。

ならば、このような程度の材料で作曲できやしないかと思った。日常の中を切り取るのである。

そして、Twitterを通じて、忙しい中でも何らか作品を発表されている人たちに感化され、自分もそうあることはできないかと思うようになった。

「顔を洗えば」という曲

最近作った曲である。

歌詞は以下。

洗い過ぎはよくない
こするのもよくない
包み込むように
優しくね

今日の始まりに
一日の終わりに
なにもかも 流してしまえ
気になることも あの時のことも

人通り多い道 切り抜けて
有る事無い事 真に受けて
なんだか疲れてしまったら
ぬるま湯で ゆっくりと さっぱりと 洗うのさ

泡沫のリグレット
思い出す日暮れ
アフターケアも大切ね

洗い過ぎはよくない
こするのもよくない
ふんわりとタオルにうずめて
閉じた目 そっと また開いて

ないものねだりは尽きないね
代わり映えしない日々も 迷いも くしゃみも
包み込むように優しくね
ぬるま湯で ゆっくりと さっぱりと 洗うのさ

今までの曲とは違って何のドラマもない。日常を切り取った曲である。1番の歌詞もメロディも30分でできた。2番の歌詞含めても1時間程度だと思う。

これはどういう製法かというと、ペリスコープで作曲配信するという方法をとった。なんでそんなことをやったのかというと、ハードルを乗り越えた状態から作曲を始めるためであった。

どういうことかというと、「ハイ、いまから配信します。作曲します。ギター持ちました。」という状態からスタートすれば、リスナーの監視もあるなか、作曲せざるを得ないため、作曲ムズいな、面倒だな、と思う前に曲ができあがってしまうんじゃないか、と思ったのである。そして、今回は見事なまでに成功した。

逆に、今まで「何かドラマがないと曲が作れない」と思っていたのは、思い込みに過ぎないことがわかってしまった。脳が老いる前にそれがわかってよかったと思う。

というわけで、これからも曲をボコボコ作っていきます。

作ろうと思えば、というよりも、作ろうとすれば作れてしまう、ということがわかってしまった。大したドラマなど必要がないことがわかってしまった。

作ってみれば、やはり達成感もあるし、聴いてくれた人が感想を寄せてくれるのが嬉しい。快感を感じる。

次回からはペリスコープで配信するといった、皆さんの監視の目を活用するというような手段ではないかもしれないけれど、何か自分のやる気を鼓舞する手段というか、やらざるを得ない環境を都度構築して、作曲をしようと思う。

というわけで、これからも曲をボコボコ作っていきます。

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