こんにちは。てっち(@killtimetetch)と申します。
はじめまして。この時期になると思い出すことを書きます。
検索でここに来られたということは、博士課程で、人生のこれからについて悩まれてのことでしょうか。
そうだとしたら、良かったら私の駄文に付き合ってやってください。
実はD1のとき、何がしたいのかさっぱりわからなくなって、博士論文のプロポーザルも通らなくて、経済的にも精神的にもかなり行き詰まり、<人生もうええかな>と思ったことがありました。
そこから何のあてもなく休学し、フリーターをしていた時期がありました。
もし仮に私と同じような思いをして思い詰めている人で、私のこの記事にたどり着いたなら、どうか死なずに楽に生きてください、と伝えるためにこの記事を書きます。
これが誰かの何かの役に立ったとしたら、成仏できます。冗談です。
私は相当中途半端な学生でしたが、今は元気に生きています。
私の経歴
私の経歴はこんな感じです。
年次 | できごと |
---|---|
学部1年 | 1浪して某国立大学に進学 |
学部3年 | サークル活動に夢中になる |
学部4年 | サークル活動ばかりしていて就職活動時期を逃す あてもなく、なんとなぁく大学院へ進学することを決める |
修士1年 | 学費と生活費を稼ぐためバイトしながら院へ通う 人にものを教えるのが好きという理由で大学教員になろうと思う |
博士1年 | 学費のためにバイトしすぎて研究を続けるのが困難になる プロポの審査通らず、進級できず、年度末に嫌になって休学 |
休学(博士1年) | ただのフリーター暮らし 就職活動する 3月初旬に4月からの就職先が決まる 大学院を中退。最終学歴:博士後期課程中退に |
社会人1年目 | 意外と歳とってるんやね、などとと言われながらそれなりに働く |
社会人2年目 | 結婚する |
社会人4年目 | 現在31歳、案外楽しく生活している |
先の見通しが甘い学生時代でした。
他者とのつながりを避けるようになる中で
他者とのつながりをとにかく避けたくなってしまっていました。
いたたまれなくなってしまったのです。それは他者との比較であったり、自己肯定感の低下であったり、そういうところに起因するものだったと思います。
周りが”立派”になっていく
博士後期課程ともなれば、学部入学時の同期は社会人生活も長くなっていて、経済的にもある程度余裕があるように見えたりする頃です。
一方、自分自身は何かを生産したり経済を回したり出来ているわけでもなく、という状況かもしれません。
日本の研究環境は日に日にしんどくなっていってます。
また、生産性で人を評価する風潮、人生やり直しが効かないみたいな風潮がどんどん加速しているように思います。
そういうわけで、成果の上がらないパッしない博士課程の学生は生きづらいです。私がそうでした。
徐々に自分のために頑張ることが難しくなった
恥ずかしさにも似た、いたたまれない気持ちが私にはありました。
旧友と飲んでも心配されるばかりで面倒くさい。
それで、他者とのつながりを避けるようになってしまいました。
他者との関わりを避けて、社会性をなくしてしまうと、頑張る理由が自分自身にしかなくなってしまいます。
なおかつ自分に自信がないと、生きている理由がなくなってしまいます。どうでもいいや、となる。
他者は自分を写す鏡のようなもので、他者と関わると自分のあり様が分かったりもします。
確固たる信念の持ち主なら別かもしれませんが、私のような日和見人間は、自分に自信がなく、情けなく思えて仕方がありませんでした。
そして、何かを自分のために頑張るということが難しくなりました。
死にたいというよりは、<自分の人生もうええかな>という、極めて自暴自棄の状態になりました。
でも、できればなんとかしたかったので
ただどこかで、できればちゃんと生きたい、と思っているので苦しい。
できれば、自分の心を安定させる方向に持っていきたい。
頭は動いていませんが、手足がなんとかしようとしている感じでした。
自分の凝り固まった価値観をほぐす
博士課程まで長いこと学生をやっていると、先述のようなことを独りで思いつめるようなり、価値観が凝り固まってしまっていて、それが自分に苦しみを与える要因になっていたりします。
それを解決するためには、凝り固まった価値観をほぐす作業が必要でした。
振り返ると、立ち直るために、私の場合は、
- 死にたい理由を減らす
- 死ねない理由を増やす
ということを沢山やったんだと思います。それで徐々に立ち直りました。
死にたい理由を減らす
死にたい理由は「生きづらさ」だったので、その原因は何かと考えてみると、ひとつは「居場所」でした。
居場所やコミュニティを替える
居場所は価値観に大きな影響を及ぼします。
研究室はある種閉鎖的な空間で、金銭的なところは度外視、研究成果が第一の価値観の空間です。
そうなると、お金も成果もない場合、大変つらい思いをする。
かといって、研究室の指導員は自分の人生の面倒を見てくれるわけではありません。
隣の研究室の指導員も無責任のことばっかり言ってきたりして。
でも、彼らは自分の研究科から博士を輩出したいので、大学を辞めろとはなかなか言いません。
私は自分が研究に向いていないことをようやく分かったので、自分の気持ちに正直に、一旦大学を休学し、フリーターになることにしました。
案外、みんなちゃんとしていない
フリーターになると気持ちが楽でした。
お金はないけれど、研究しなきゃいけないみたいなこともなく、街に繰り出す回数が増える。
バーのマスターや隣の人とも話をする。就職活動もしました。
そうすると、自分が普段目にする人種が入れ替わりました。
バイト先や飲み屋で見る人たちは研究室の人や<優秀な旧友>とは違いました。
案外、みんなちゃんとしていない。しかも何か楽しそうに生きている人もいる。
頭では理解していたけれど、価値観が凝り固まっていたことに気づきました。
ちゃんとしていない自分を少し許せるような気がしました。
死ねない理由を増やす
死ねない理由を自分以外のところにつくりました。
具体的には、他者との関係を見つめ直す。
何か一つに依存しては具合が悪いことがありそうなので、いろいろなところに分散させて。
例えば、
- 昔仲良かった友達を呼び出してみる
- いい加減な異性関係をちゃんとしてみる
- 飲み屋さんやバーに行って友達をつくる
- オカンとちゃんと話をしてみる
自分に変な独断をさせないための手段として、ありていにいえば、他人を<使う>ということです。
人じゃなくても、モノやコトでもいいと思います。
例えば、
- アイドルにハマる
- 映画や音楽にハマる
- 編み物をしてみる
なんでもいいです。
適法なことであれば。他者や自分以外のモノとの関わりがある限り、自分の人生は自分だけのものではないと思うのです。
博士課程中退、就職先はあるのか
就職先はあります。
実は学部のとき、修士のとき、ちょくちょく<就職活動もどき>なことをしました。
博士のときはもう少しちゃんとやりました。
どの時期も、氷河期ではありませんでした。
私は対面のコミュニケーションに自信がありません。
文面でのコミュニケーションは得意ですが、口頭でのやりとりにおける理解力がないのです。
そのことを昔から気にしていて、一度精神科で診てもらったら、発達障害グレーゾーンでした。それは置いときましょう。
それでもちゃんと自分似合った職場を探せば、尊大な振る舞いさえしなければ、どこかは拾ってくれます。
私は3月の初め頃に、2件の内定がもらえました。
結局間際に色々あって、内定をもらったところではなく、別のところに就職しました。
運がよかっただけでは?
就職も決まって、女もいて、話がわかるオカンで、運がよかっただけでは?と思われるかもしれません。
たしかにそうかもしれません。
でもそれを差し引いても、思うことがあります。
客観的に見て死ななきゃいけない理由なんてどこにもない、ということです。
どう生きるかは個人の勝手で、どう生きたいかという気持ちが他者との関係の中で揺れ動いたりするわけです。
私は、自分はここにいていいのだという場所をいろいろ探し、見つけることによって、自尊心を少し取り戻しました。
就職してからどうだった?
研究をしていたころの経験が無駄になるのでは、と思われるかもしれませんが、私の場合は全てが無駄になったということはありませんでした。
研究生活の経験はめちゃくちゃ役に立つ
一つは、長い間学生をやっていたことで、文章を読み書きする能力や事務処理能力がめちゃくちゃ上がっていました。
私は今現在事務職なのですが、就職してから仕事そのもののことでは苦労していないように思います。ただ培ってきた能力を仕事に最適化し応用するという作業は必要です。
もう一つは、仕事で嫌なことがあっても5年前の辛かった時期を思い出せば屁でもないということです。
5年前は金もなく、褒めても貰えなかった状況が一変、就職すると働けば金が貰えます。
嫌な上司も基本的には<知らんがな>で済みます。まぁ安月給ではありますが。
今はいけてるのか
なんとかやっていけています。
実は、当時いい加減な関係だった女性と結婚もしました。
睡眠も食事もちゃんととっています。
相変わらずお金はそんなにないけれど、5年前と比べものにならないぐらい、心が落ち着いています。
なお、さらっと結婚したなどと書いていますが、結婚もなかなか情けないエピソードがあったりします。もし良かったらこちらからご覧ください。
研究は続けるべき?辞めるべき?
そのことを私が意見する権利も、その気もありません。
続けたくて続ける、やむなく続ける、続けたくいけど辞める、辞めたくて辞める。
いろんな生き方がありますから。
ただ、どこで辞めても人生どうにかなりますよ、やり直しが効かないとかはないですよ、ということだけ私の例からお伝えしたかったのです。
続けるにしろ、辞めるにしろ、少しは気楽に感じていただけたらと思うのです。
まとめというほどではないけれど
私にもこれから想像もできない程しんどいことがあるかもしれません。
それでも、人生ずっとしんどいということはないです。
だから、なんとか上手いことやっていきましょうよ。ね。
この記事は以上で終わりです。