嗚呼、ギリギリ体質

3000文字チャレンジ

分かるんですよ、言いたいことは。

人の時間は有限であって、時間の制約があるからこそ競争が生まれる。
単位時間あたりの成果というものを測る必要が出てくるので、
「締め切り」というものは人間の営みには必要不可欠なんですよね。

分かるんですよ。
分かるけど、守れるかどうかは別問題なのよ。

そう。
私は、ものごとを締め切りに間に合わせるのが非常に苦手なのです。
それで平気だったら、鋼のメンタルの持ち主だったらいいんですが、ビビリです。
締め切りに間に合わないくせに、申し訳ないとか思うタイプなんですよ。
社会人になってからは身も心も苦労しています。

締め切りに間に合わないなら分析しろ、
なぜ見積もりがうまくいかないのか考えろ、ってなるじゃないですか。
そして上手に見積もれるようになれ、って思うじゃないですか。
この作業がものすごく苦手だし、上手くいかない。

何が苦手なのかというと、そのときの脳の状態を予測できないんですよ。
集中できているのか、それとも注意散漫なのか。
それによって作業スピードが変わってきますよね。
そんなの、作業開始前に分からなくないですか?
分かりますか、、、そうですか、、、

規則正しい生活を送っていつでも同じパフォーマンスで望めるようにしろ、
などと、正義感と優しさを存分に振りまいて宣う輩がおります。

ムカつくけど、彼らの言うことはまったくもって正しい。
まったくもって正しいんだけど、ムカつく。
限界ありませんか?体調整えてもアカンときはアカン。予想不可です。
心因的な理由で寝れないときとか、ありますし。
そんなん分かってる!ありがとう!でも無理やねん!!!すまん!!
って、ただただ泣きたくなる。分かってる、悪いのは俺だ!!!!!!

あともう一つ、これもどう足掻いても自分が悪いのですが、
私は、自分の処理能力をやや過信しているフシがあります。
ろくすっぽタスクの内容を把握せずに、ああ、いけんじゃね??と第一感。
ご承知のとおり、大事故を起こしてしまうタイプのヤバい発想です。

いけんじゃね??
(ほったらかす)
– 3時間後 –
やばいやばい!!
アッカァアアアン!!!
生きててごめんなさい!!!
ということが山ほど起こります。

でも長く続く予定の人生ですから、自分の特性や癖を理解するとともに、
小手先のスキルも上手く組み合わせながら、ストレスなく生きていきたいものです。

ですから、自分のこの怠惰がこのように練り上がった原因を探ってみたいと思います。
どうして私がギリギリ体質の人間に仕上がってしまったのか、振り返ります。

小学生の頃。

特にひどかったのが夏休みの宿題である。
毎年ほとんど宿題をせずに夏休みを終え、9月1日を迎える。
学校に行き、居残りで宿題をするのである。

当然、先生に叱られるわけだが、まるで反省をしなかったように思う。
というよりは、反省をしているフリをしていた。
また、叱られるといってもそれほどひどいものではなかった。

単に、学業の成績が良かったからである。

周りの人はすごいイヤだったろうな、と思う。
ろくすっぽ宿題もせず塾にも行かないような奴が100点ばかり取るのである。
とにかく記憶力がよかった。暗記モノは一瞬で脳にコピーできた。

親にも叱られたが、前述の理由でヌルかった。
それと、私は3人きょうだいの末っ子なのだが、親は仕事やパートで忙しかった。
私を叱るのも面倒くさかったのだろうと思う。末っ子はそんなものである。

自分自身も私立受験など微塵も考えたことなかったから、
成績についてはどうでもいいと思っていたのだろう。
学校の授業そのものは好きだったが、宿題や課題をさっぱりやらなかった。

そんな感じの生活が中学3年生まで続いた。
その結果、どうなったか想像がつくだろうか。

1つは、中3の夏頃から急に物覚えが悪くなった。

宿題はやったほうが良い。脳トレだ。
インプットとアウトプットを日々繰り返す。
そうやって理解力を培うし、記憶を定着させる。
その機会を逃しに逃していた。

そのような中、ご承知のとおり、勉強の内容がだんだん難しくなってきた。
積み上げのうえに理解を要する内容になってきたのである。
つまり、パッと見ただけで内容を把握する、ということが難しくなってくる。

脳の成長過程みたいなところもあるんだと思う。
小学生のときにあった、見たものをそのまま脳内にコピーする能力を失った。
とにかく、モノが覚えられなくなった。

そしてもう1つ、困ったことが。
勉強の方法がわからない&しなくていいと思ったまま、高校生になってしまった。
厨二病である。

中学の内申点が良かったので、そのまま地元の隣接市域にある進学校へ進んだ。
だのに、そもそも「勉強など別にやらなくていいもの」という気持ちなのである。
普段やっていないけど一夜漬けでなんとかなったほうがいいじゃん?とか思っていた。

高校での成績は当然めちゃくちゃ悪かった。
8クラスあり、1学年につき300人超だったのだが、
成績はだいたい200-270番台をウロウロしていた。

さすがに困ってきた。
で、自分なりに「勉強のようなこと」をしてみても全然成績が伸びない。
成績が伸びないので、やり方が間違ってるんじゃないか??
といろんな参考書や問題集に手を出す。バイト代をそれらにバカスカ使う。
で、結局ちょっとしかやらないのである。さらりと全体を見て終わり。
試験前に焦って一夜漬けをして、大事故を起こすのである。
勉強の基本は日々の反復である、などと気づくのに何年もかかった。

また、今日でも頭を悩ませるマインドが、あらゆるところに支障をきたした。
「私はまだ本気だしてないだけ」「自分はやれば出来る子」という気持ちである。

このマインドは「逃げ」の代名詞みたいな存在だが、良い方にも悪い方にも作用する。
良い方は、物事に取り組むときにネガティブな先入観を持たないでいられること。
悪い方は、能力を過信し、安心し、何もかもが締め切りギリギリになってしまうこと。

そしてこのマインドは、受験勉強においては、面白い働きをした。
レベルの高い志望大学の受験に、クソバカのまま突っ込んだのである。
当然、落ちた。で、浪人。勉強が全く間に合っていなかったのである。

予備校に行って、「んあ!勉強ってそうやればよかったんだ!」と気づくまで、
自分が地獄の渦中にいることを分かっていなかったのである。
一方、自分はやれば出来る子だと思っていたので、折れずに勉強することもできた。

大学生になってからは、締め切りに焦ることは減ったように思う。
とはいっても急にマジメになるわけはない。
ほぼ自分の興味のあることしかやらなかったからだ。
楽しいと思う授業は一瞬でレポートを終わらせたし、
面白くない授業は平気で単位を落とす選択をした。
そういうわけで、ギリギリ体質を克服する機会を逃し続けた。

そういう育ちをしてきたおかげで、真性のギリギリ体質なのである。
やれば出来る子マインドに加えて、集中力に関する機能がねじ曲がったように思う。
さんざんボケっとしていて、締め切り前なると鬼のように集中するという習慣。
これがために出来上がった脳の状態は、「注意散漫」か「過集中」の2択なのである。
私は親譲りのADHD(発達障害の一種)グレーではあるのだが、
それ以上に自分自身が選んできた習慣、育ち方がよくなかったように思う。

で、社会人。

日々、締切というものに追われている。
ギリギリになったり、間に合わなくて、何度も謝っている。
まぁ今のところ、外部の関係者に迷惑をかける仕事じゃないのが幸い。
…幸いなのか?一度、痛い目を見たほうが良い。いや見たくない。

一時、膨大な仕事を抱えていて、かつギリギリ体質に悩まされたことがあり、
それで心を病むぐらいなら、と、ADHDに効くという薬を飲んでいたことがあった。
コンサータという薬だ。今は飲んでいない。
効果は凄まじく、ものすごく便利に作用した。
なので、精神的にはかなり依存していたが、
次第に、熱が出たり心臓がバクバクしてしまって体質に合わなくなり、やめた。
この辺の話はそのうち機会があれば書きたい。

最近はギリギリ体質が少しずつ改善されてきた。ように思う。
ここしばらく、ギリギリではあるが、締切に間に合っている。

小手先のライフハックをたくさん取り入れるようになったのと、
なんかそのへんどうにかしてくれそうな本とかをたくさん読んだ。
便利なExcelマクロとか組んでみたり。
鬼のように予防線を張って、なんとかかんとかやり過ごしている。

賢い人は、先に時間を決めておいて、
その中でできるクオリティのものを作り上げるそうです。
この作業をやったら何時間かかるか?ではなく、
n時間でこれをやる。最適な方法を選ぶ。時間の制約ありきでしか成果は生まれない。
「イシューからはじめよ」って本にざっくりそんなことが書いてました。

ええ、頭では分かっていますとも。
でも、できるかどうかは別問題だッ!!!!!!

はぁー生きるの辛ぇよ、日々。野山で暮らしたい。それはウソです。

「3000文字チャレンジ」第78弾【締め切り】

  • この記事は、3000文字チャレンジで書きました。第78弾のお題は【締め切り】
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