我が家で毎朝のように頻繁に使われる「久米」(くめ)という言葉について解説したい。
久米とは
※スマホだとampで表示されちゃうっぽくて音出ないみたい。
久米(くめ、粂は合字)は日本の地名、姓。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E7%B1%B3
久米とは
久米は大学時代からの友人である。大学1年の秋ぐらいから交友関係があった。
久米と私は同じサークルに所属していた。彼が学生時代に働いていたバーにも足しげく(まぁお金がなかったので足しげくという程ではないが、よく)通った。
冬、私が一般教養の授業のためキャンパスに行くと、久米はベンチでたばこをふかしてコーヒーを飲んでいた。
2008年といえばまだ世の中にスマホもない頃で、また、久米は読書家とかでもない。手持ち無沙汰のまま、ただ教室に向かう学生を朝早くから眺めているのである。
通っていた大学の学生は総じてイモが多かった。その中で、彼の風貌といえば、痩せこけた都会のヤンキーだった。
えんじ色のダウンジャケットを着てタバコを咥えた、髪色の明るい痩せこけた都会のヤンキー。
そんな奴が無駄に早起きして、クソ寒い大学のベンチで学生をただ眺めているのである。教室に向かう学生たちはきっと彼のことをいろんな意味で怖がっていたことだろう。
ベンチに座る久米と数分喋ってから教室に行く日々だった。
しかし久米は教室に行かずにずっとベンチに座っていた。なんだったんだあれは。
久米とは
風貌とは裏腹に、彼は聡明で、喋るのが上手で、義理人情に厚いイイ奴である。友人も多い。と褒めておこう。しゃあなしやで。いやまぁ実際そうなんだけど。
時は流れ、卒業。とも行かず、彼も私も学生生活が長引いた人だった。
彼が大学4年生のころから始めた男ばっかのシェアハウスに、院生になった私も転がり込み、しばらく一緒に暮らした。
シェアハウスのメンバーは流動的ではあったが4人ぐらいで、私と久米以外は後輩だった。だいたいの家事を後輩に押し付けてジャイアン的な生活をしていたのは今でも申し訳ない。
同居しはじめると、同居人の習性というものがまぁ本当によくわかってくる。
久米は学生グループでバーを営んでいて、人付き合いを大切にする人間なので夜はだいたい出かけており、明け方にぐでんぐでんのヘロヘロで家に帰ってきた。
久米は酔い覚ましにか缶コーヒーを毎度買って帰ってきた。それを飲み、心身を落ち着けてから毎晩力尽きていたようだった。
翌日、彼はその缶をテーブルに放ったらかしにしてまた出かける。やむなし放置された缶を片づけるのだが、必ずといっていいほど中身のコーヒーが少しだけ残っていた。
ほんのひとくち分ぐらいである。飲みきりゃいいのに。それを台所のシンクにジョボッと捨てるのが日課みたいになっていた。
それを私やルームメイトの後輩が面白おかしく周りに言ってるうちに、周りの皆も、飲み残しのコーヒーを見つけては「それ久米やん!」とか言うようになった。
そのうち、私を含む一部の友人界隈で、「飲みきりゃいいのにという位の微量の飲料を残すこと、又はその飲料」を指す言葉として「久米」を用いるようになった。
微量に飲み残しのコーヒーがあればそれは久米だし、飲料をほんの少し飲み残すことを久米する、と言う。
久米とは
時は流れ、私はいま妻と暮らしている。
妻はめちゃくちゃ久米する。
毎朝コーヒーを入れて飲み、妻が先に仕事に出かける。ふと妻のカップを覗くと必ずと言っていいほど久米なのである。妻は毎日久米するほどの久米しいである。
久米のきったねぇ久米とは違って妻の久米なら飲めるので、私は毎朝あーまた久米してんな、と思いながら、その久米を飲み切ってから仕事に行く。
我が家ではごく当たり前にこの語彙が通じるので、また久米してるやんとか、この久米どうする?捨てていい?とかそういう会話が普通に成立しているのである。
近ごろ我が家では久米を飲料以外のもの、例えば食べ物にも用いるようになってきている。ごはんを作りすぎて食べきれなかった残りを久米と言ったりする。
久米の独り歩きである。
久米状態のコーヒーについて、なんか気づいたら久米になっていたもののことは「無意識の久米」と言うし、あとで飲もうと思って少量残してある場合には「意図的久米」など言ったりする。
なぜ久米がここまでスタンダードな語彙として定着したのか、妻と話し合っていたのだが、それはやはり必要な語彙だったからとしか言いようがない、との結論に至った。
「ほんの一口の飲み残し」を「いやそれぐらいなら飲んじまえよ」という感情を込めながら2文字で簡潔に表現できるという、痒い所に手が届く絶妙な言葉なのである。
久米とは
久米という言葉の由来、意味、存在意義、便利さについて詳しく解説した。これを読んでくれた皆様、ぜひ今日から自由に使っていただければと思う。
なお、私がいま、久米という語彙を使っているとき、人間のほうの久米の姿は一切浮かばないし、久米、元気にしてるかな、みたいな会話にも一切ならない。
久米は現在、東京で飲食店を営んでいる。ブログのネタにさせてもらったので、ゴリッゴリに盛大にお店の宣伝をしておきたい。
Browny(ブラウニー)
ブラウニーという名前のバーである。現在、武蔵小山と恵比寿に店舗がある。
こちらは武蔵小山の店内。広々としている。
武蔵小山の方には私も行ったことがある。なんかね、とってもいい空間よ。友人補正はあるだろうけど、それを抜いても、なんというか、気取らない、心地いい空間。ダーツのマシンも設置してある。
で、こっちが恵比寿の店。こっちは行ったことない。へーおしゃれ。(久米すまん、よーわからんから詳しく書かれへん、、、)。
で、Brownyの看板メニューがこれ。
焼きカレー!
すげーうんまいの。オーソドックスなカレーからさほど道を違えず、でもありきたりでない、スパイシーで香り高くパンチの効いた、かつ深みのある味わい。これはぜひ食べてもらいたい。
↑ブラウニーの焼きカレーはいま通販もやっていて、冷凍のルウを買うことができる。遠方で行けない人や、コロナなご時世だしちょっとなぁ、、、という方はこちらで買うと良い。私も買ったことあるんだけど、冷凍でも美味いんだわ。
で、この記事をここまで読んでくれた方。東京にお住まいであるとか、何かしらの用事で東京を来たなら、ぜひブラウニーを訪れてくれ。こんな感じのスタッフが迎えてくれる。
一番奥にいるのが久米。実在する。
ちなみに一番左にいるのは中島。彼も大学んときからの友達。一緒にバンドやってた。彼もまた滅茶苦茶だけど良い奴。久米と中島、一緒に店やってんのよ。なんて夢のある話よ。
まぁでも今日はとりあえず、「久米」という言葉だけ覚えて帰ってくれたらそれでいいわ。
あとがき
この記事を書くに当たって許可取りのラインを送ったら快諾してくれたんだけどさ。
久米は全然久米治ってないらしいわ。