店員に「ありがとう」と言うのは必要か

随筆

言ったほうがええよ!だってその方がお互い気持ちエエやん!!

……なんて明朗快活な人間ならばどれほど良かったでしょう。

理屈を捏ねたくなってしまうんですよねぇ。

コンビニ店員さんであれ、高級なお店の店員であれ、「普通に」丁寧な対応をしてくれた場合には、ありがとうは言ったほうが良いと思うし言ってる派です。

賃金と業務内容を鑑みれば、チップも出せないならせめて労いや感謝ぐらいは表したほうがいいんじゃないかと思っているから。

対価払ってんだから、という言説

対価払ってるからありがとうは言わなくていい、という考え方。社会人なんだから丁寧な対応はできて当然、みたいな。まぁ、それぞれよねぇこれは。

例えばコンビニ店員を考えてみましょう。

コンビニ店員の接客という業務内容に「クソ客を含む多くの客にそれなりに丁寧な対応をし、文句を言われることはあっても感謝はされない」というところまで含むものだと考えているならば、それでも良いんだと思います。

でも、だとしたら給料安くねえか?と思うのです。

接客というのはとってもしんどいのですよね。最近じゃ高齢化で認知機能の衰えた人だって多数大暴れしています。提供するサービスの多様化も進んでいます。

きっとすごいしんどいよコンビニ店員。レイアウトを整え店内を清潔に保ちどんどん多様化が進む外部企業の連携サービスにも対応しミスなくPOS打ちをし、それにさらに接客もやって、時給1000円そこらでしょう。

さらには、対価を払っているのだからありがとうを言うのは「おかしい」という人。これも自由ですが私とは相容れない考えだなぁと思うのです。

その仕事を選んだ責任、自業自得、という考えもあるでしょうけど、市場が限られている以上誰もがパイを分けるような形で仕事にありつくしかない世の中、規定の給与でレジを打ってくれる人も必要なわけで。

「ありがとうと言うのはおかしい」派の人に対しては、逆に自分の仕事の価値をどう考えているか訊いてみたくなるところです。

コンサルでしょうか。営業でしょうか。研究職でしょうか。何であれ、自分の仕事の先に誰かの喜んでいる姿がほんのちょっとぐらいは見え隠れするんじゃないでしょうか。

対価支払ってんだから感謝も労いもクソもないじゃん、って言われて定価でサービスを提供するよりは、同じなら喜んでくれたほうがやりがいは多分あるじゃんね。というか、相手が喜んでこそバリューのある仕事だ、とか言いそう。

それを盾に、相手が喜ぶようなサービスを提供してみろよ、ってコンビニ店員に対して思うのなら、えぇ、そんな低賃金で??そんなこと要求する??ってなるわけです。

「普通に」丁寧な対応をしてくれる店員さんは、それだけで有り難いものなのではないかと思うのです。

「丁寧なサービス」なんて頼んでないじゃん

そもそもこっちは丁寧なサービスしてくれなんて頼んでないじゃん、という意見もあるかと思います。

個人的には私も、コンビニ店員は別にハンバーガー片手にビール飲みながら同僚と談笑しながらレジ打ってくれたって構わないし、ぜひそうしてほしいよ、と思うわけです。

でもさ、それで怒る人いるじゃん。すごい問題にする人いるじゃん。クレーム出されたら客商売やってる会社としてはなんか対応せざるを得ないじゃん。

店員としてもさ、来客に対して「ハンバーガー食べながら接客してもいい相手」か「すっごい怒ってきそうな人」とか判断するのダルいじゃん。

そしたらやっぱり丁寧なサービスに統一されてしまうのは致し方ないわけで。

背景には、サービス業全般に過剰なサービスを求める人多すぎ、という問題があるんだと思います。それは低賃金・低価格のサービスに対しても、です。

お客さんは商品を買いに来ているんではなくて、体験を買いに来ているんです、だから接客サービスも良いものであることは必然なんです。とおっしゃるのなら、高い金を出せよ、と思うんです。

でもやっぱり、一定数、全然カネを支払わないのに相手からサービスを搾り取ろうとする人もいるし、それでないと満足しない、問題にする客がいる。

やむなく丁寧なサービスを行う方向に向かってしまっている世の中、店員のサービスに対してありがとうを言わないことに固執してしまうと、それはある意味では、低賃金・低価格のサービスが蔓延する世の中を肯定してしまっていることになるんじゃないかとすら思うんです。

サービスの安売りすんなよな、ホントは賃金が上がるべし、とは思ってもやっぱりそうはならない世の中。でもそれを当たり前にしてしまうことの怖さは、感じていたほうがいいと思うんです。

そういう意味では、頼んでもない押し付けられたサービスでしかない「丁寧なサービス」であったとしても、それはオプションと捉えて、何かしら対価を支払う心構えを持っていたほうがいいと思うんです。

じゃあその対価を何で支払うか。チップでしょうか。低賃金なシステムをぶっ壊す社会活動でしょうか。ありがとうと言って感謝や労いを示すことでしょうか。

チップなんて文化もないわけで

日本にはチップという文化はないですよね。いいサービスを受けても、追加でお金を払ったりすることってなかなかありません。コンビニバイトがチップを貰おうものなら店舗や本部がきっと黙っていません。

かの「キ○チップ」が大バッシングを食らっても、じゃあ本物のチップを渡しましょうよという人は私も含めなかなかいないわけで。金があってもなくてもね。

一方、働く側は、客に対してどれだけ良い対応を続けようとも、会社の規定に基づく範囲でしか金銭的対価を得られないわけです。

そうなってくると、良い顔しているのも馬鹿らしくなることだってある。それで当然だと思うんです。

そもそも割に合わない労働をさせる世の中が悪いんだよ

そのとおりです。過剰なサービスさせ過ぎなんです世の中。これはもうどうにかしたほうがいいのは間違いない。

でもまぁ文句ばっかり言ってるだけじゃありませんか。

例えばそれで、労働組合で賃上げ交渉してるとか、政治を変えてみようとしてみたりとか、そういう気持ちで投票してみたりとか、やってますか、って話なんですよ。

私はそういうのをやらないので、強い意見は言えませんから、この記事の最後には「知らんけど」って言って逃げるつもりです。

対案も出せないのなら、せめて消費者としては、ありがとうぐらい言ってみればいいじゃん、と思うわけです。

じゃあとりあえずでも「ありがとう」って言うしかないじゃん

低賃金・低価格の充実したサービスで溢れる世の中を当たり前と思ってしまうと、そこで働く人がどんどん蔑ろにされていってしまうような気がするし、さらなる低価格化・低賃金化の流れに加担してしまうことになる気がするんです。

じゃあせめて、それは当たり前ではない(=読んで字のごとく「有り難い」)ことなのだよ、とお互いにリマインドする意味でも、ありがとうと言うことって大事なんじゃないでしょうか、なんて思うんですよね。

その方がお互い気持ちええやん!!

知らんけど。

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